家族ってなんだろう・・・父のガンをきっかけに考える

家族ってなに?バラバラな家族が一つになることはあるの?

久しぶりの友人・・・私が変わったのか?友人が変わったのか?

 

   

 

約3年振りに、友人が海外から帰ってきた。

旦那さんの赴任について、海外へ行っていた。

 

3年の月日。

早かっただろうか?長かっただろうか?

 

友人が帰ってくるのを首を長くして待っていた。

会いにいくね。と言って、結局一度も訪ねる事は出来なかった3年間。

 

久しぶりに会って感じた違和感。

友人も感じただろうか。

 

3年の月日が、友人を変えたのか?

それとも、私が変わったのか?

 

日本にいた私の3年。

また夢に向かって歩き出した私。

3年前より、充実しているのは間違いない。

忙しくやりたい事が溢れている。

 

かたや海外へ3年行った友人。

最初は、慣れない土地で友達もどう作っていいかわからないと、言っていた。

はじめの頃は、よくSkypeでテレビ電話をしていた。

お互い徐々にその回数が減り、数ヵ月に1度LINEをするだけになった。

 

   

 

久しぶりに会って話をしてみると、噛み合わない。

友人は、セレブの人たちと知り合いになり、エルメスへ買い物ツアーに行ったと楽しそうに話している。

以前からおしゃれな友人だから、本当に楽しかったんだろう。

 

私は、おしゃれにはまったく興味がない。

それでも昔の私なら、友人が話す事を楽しく聞けただろう。

だけど、なぜか相づちを打つのがやっと。

それのどこが楽しいのかわからない。

セレブの一員のようになった事がいいのか?

エルメスで厚待遇を受けた事が嬉しいのか?

 

早めに帰ると言ってくれた事に、正直ほっとした自分がいた。

買い物好きの友人に、あまり買い物に興味のない私。

それでも、どこか話が合って価値観が似ていた。

話すと楽しかったし、一緒にいたいと思っていた。

3年で私が変わったのか、友人が変わったのか。

どちらも、会わない間に環境が変わり、価値観も変わってしまったのかなぁ。

 

   

久しぶりに母からの電話

 

   

 

久しぶりに母から電話があった。

出る前はいつも思う。

今日の声のトーンは明るいだろうか?と。

今日の電話は、明るいトーンだった。

それだけで、まずは一安心。

自然と私も笑顔になる。

 

父の事ではなく、別件の用事でかけてきた。

他愛のない話だけど、そう言う会話が出来るだけ、まだマシだなぁ。

 

一応、父の状況を聞いてみた。

「相変わらずよ~。わがままばかり言って・・・」

「手術の時、帰ってこなくてもいいわよ。忙しいだろうから。」

ちょっと意外だった。

帰ってこなくてもいいと言うとは思わなかった。

 

本心だろうか?強がりだろうか?

とは言っても、心配もあるから数日は帰ろうと思う。

 

   

 

帰ったら帰ったで、重苦しい空気なんだろうな。

それでも、そこから逃げるわけにはいかない。

私にしてあげられる事は少ない。

だけど、帰らないわけにはいかない。

 

辛かった不妊治療

   

 

今日は朝から外出。

外出先のカフェでモーニングを食べている。

やたらと今日は、子供連れの家族が多い。

正直、子供のワンワン騒ぐ声は苦手。

 

だから私は、子供を産まなかった。

子供ができなかっと言った方が正確かも知れないが。

 

結婚したのが24歳。

それまでは、普通に子供を授かって普通に母親として生きるんだと思っていた。

 

だけど、1年経っても2年経っても授かる気配はなかった。

姑からは、いつできるのかと聞かれ、病院に行くように何度も言われた。

主人からも、その頃は圧力があった。

 

1度だけ病院に行って、検査をしてもらった。

辛い辛い、検査だった。

 

その後は、薬を服用して定期的に病院へ。

そこまで子供が欲しかったわけではない私には、本当に辛かった。

薬の副作用もあり、仕事をしながらの通院はきつかった。

 

自然と病院へは足が遠のき、子供は諦めた。

 

   

 

そして、40歳を目前にして、とても主人には申し訳ない事をしたという罪悪感が強くなってきた。

 

もしかしたら、私と結婚しなければ、子供たちに囲まれた幸せな生活があったのではないかと思ってしまう。

 

たまに私に、子供が欲しいと言っていた。

何気ない一言が、私の心を蝕んでいるとも知らずに。

 

24歳からの約10年間、何度も離婚しようと思った。

でも、出来なかった。

理由はよくわからない。

今となっては、今一緒にいることが私たち夫婦の定めだったんだと思う。

 

私はいつも、起こる物事は必然的に決められていると思っている。

幸せにも不幸にも意味があると。

そして、なるべくして今があると。

 

そう思えるようになってから、心が軽くなった。

もう子供を産むには、ギリギリの線。

今は主人も受け入れてくれていると思っている。

 

だけど今日のように、子連れの人たちをみると、羨ましく思う自分もいる。

頭の中で、自分の分身を想像してしまう。

きっと私は、厳しい母親になったことだろう。

 

   

二番目の兄

 

 

二番目の兄は知的障害者

 

読み書きは出来ないけど、数年前までは独り暮らしをしていた事もあった。

 

見た目がいたって普通に見えるから、これがまたやっかい。

変な飲み屋の兄ちゃんに捕まって、呑み代を数十万円ふっかけられる事があった。

職質に合う事もある。

 

今は障害者手帳を持っているので、何かあればみせるように言っている。

自分で判断がつかない事は、必ず私に電話をするようにも言っている。

あとは、絶対に印を押すことや、署名しないようにと口をすっぱく言っている。

 

離れている分、心配でしょうがない。

 

 

 

だけど、二番目の兄は家族で一番、見えない何かに守られていると思う。

守護霊?ご先祖様?

よくわからないけど、昔からそんな気がしていた。

 

兄は昔から優しい。

歳が離れているからかも知れないけど。

昔はよく私に、服をプレゼントしてくれた。

働いたわずかなお金で買ってきてくれる。

 

それに私の事をよく、「M子は頭がいいから」と言ってくれる。

そんな兄に私は、恥じない生き方をしたいと思ってきた。

だけど現実は、後悔だらけの人生さ。

 

これからの家族の行く末を思うと不安で仕方ない。

私にもっと財力と力があったらと・・・。

今になって、なんでもっと堅実に生きてこなかったんだろうと後悔しっぱなし。

母に似て私も、お金管理は苦手らしい。

 

 

母は息子の方が可愛いの?兄への想い

私の母は、気弱な面を持ちながら、変な度胸がある。

それでいて、能天気な部分も。

 

母も頑張りやさん。

だから父も兄も、母に甘えて、どうにか家の事はなるだろうと思っている。

 

家族で自立しているのは、私だけ。

私だって、時には母に甘えたいこともある。

だけど、もう家を出てから20年。

1度も甘える事はない。

母が大変なのを知っているから。

 

 

 

やっぱり男の子の方が可愛いんだろうか。

兄たちには、すごく甘い。

だから長男は、いい年して未だ実家暮らし。

職も転々としていて、フラフラしている。

 

兄は自分自身に負けている。

それに気づかず、悪いのは人のせい、世の中のせいだと思っている。

そんな人生でいいのだろうか。

 

昔は、カッコイイ兄だった。

進学校ではなかったけど、常に成績は上位にいた。

 

あの頃は自信に満ち溢れていたに違いない。

 

兄もまた、どこで道を間違えたのだろうか。

気弱な部分だけが強調されてしまい、兄の良いところは全て隠れてしまっている。

またあの頃の兄に戻ってほしい。

 

たまに実家に帰っても、会うことも話すこともしない兄。

自分の人生は、自分で変えるしかないと言うことに気づいてほしい。

そして、強くなってほしい。

 

 

 

けっして私だって強いわけではない。

心が折れそうな事はたくさんある。

それでも、私は常に「このままじゃ終わらない!」と心で叫んでる。

私まで倒れたら、家族の未来はない。

私は絶対に這い上がる。

家族みんなを幸せにする力が欲しい。

 

 

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